第3話 神戸

novel

全員が集まった事務所に親父おやじが帰ってきたのはお昼が過ぎたころだった。

「みんな聞いてください」

と切り出す親父(社長)。

今朝の地震が関係していることは判りながらも、月例でも全員が集まることが少ない中、ざわざわとしていたのだがその静かながら重い?そう重い言葉だった。

「帰り際に神戸の親友と連絡が取れました。彼の家族は無事だったそうですが、隣もその隣も、住人が家の下敷きになっているそうです。警察も救急車も消防車もまだ来ないそうです。友人の家族はみんなで声を掛け合って、瓦礫を動かせて救助に走り回っているそうです。水道が出ないそうです。この寒空の中、今夜どこで寝ればいいのかも心配しています」

涙声を詰まらせながらの社長の話には、俺もそうだったが、あの母親でさえ声がでなかった。誰一人として声が出ない沈黙の時間が過ぎていた。

「私は日本に来て本当に良かった」

と続ける。

「私たちベトナム人は、皆さま日本人を心より尊敬しています。今日、日本は大変なことになりました。私はこんな時に仕事ができません。 でも、じゃ 何をしたら良いのか? も、わかりません。みなさん、私たちは、今、何をしたら良いでしょうか?」

今考えると、こんな親父の息子で良かったと改めて想う。

親父が泣きながらこんな話をした場所は 横浜 だった。

ふと、外を見ると、いつもと何も変わらない日常が目に入ってくる所だった。

口には出さなかったが、社員の内には

「何言ってんだ?このじじぃは」

くらいの考えもあったのだろうと想う。

でもそんな中ひとり、中村さんが口を開く。

「まず行ってみましょう。 具体案として温かい食事を提供します。4台在る配達車のうち2台に、ガスと食料と水を積んで3人づつ6人で神戸に向かいます。炊き出し班の1班と2班です。その2個班は、社長のご友人と合流して、その指示で動きましょう。そして、情報を集めて本部ここへ連絡をしながら次を考えるというのは・・・いかがでしょうか?」

「賛成!」

と俺が後を押した。

「中村さんありがとうございます。皆さんありごうございます。そうしましょう。では、神戸に行っていただく6名を決めてください。あと、こちらに残る皆さんには、お客様の対応と諸々を準備して、出向部隊のバックアップもお願いいたします」

こうして、なぜか? おふくろが先導し、中村さん以下を連れ出し神戸へ向かった。俺は社長の命令で、穴が空く部署(つまりは全体的に)を掛け持つことになった。

三、四日が経った頃だった。

神戸からの電話を受けて大はしゃぎな父親。

「おいソン、大変だー」

「どうしたの? かあさんに何かあった?」

「いやそうじゃないんだー。中村君から連絡でブルーシートを・・全部・・全部 欲しいっていう業者がいるそうなんだよーーー!」

「え? あのブルーシートを !?」

「1枚をさ、1,200円で買い取るって言ってるらしんだ!」

「うそでしょう? 相場の150%じゃん。何に使うんだろう? てか80円でかったんだよね。おふくろが言ってたよ」

「あ・・・・・ ママには言ってなかったんだけどね・・・実は・・・現金で払うからってさ・・・・・90万円にしてもらったんだよ・・・ニカっ・・」

「? 900,000/14,400= 62.5円 えー? 一枚62.5円じゃん!」

この事から、例の倉庫に移した4400枚をまた、コンテナに積むことになったのだった。

混沌とした関西の交通事情を考慮して、車(コンテナ車)で走らせる選択より船積みを選び、やっとの想いで港までのチャターを済ませ急いで事務所に報告の電話を入れた。

が・・・

「ソン。中村君から詳しい情報をもらったんだけどさ・・・」

何か? 悩んでいたのだろう、いつもの様な声の張りも無かったし、とぎれとぎれで歯切れが悪かった。

「どうしたんだよー・・なにがあったの?」

「あのさ・・ブルーシートがさあ・・・」

「おとうさん、どうしたんだよ? まさかキャンセルなの? もう不要なくなったの ?」

「ちがう・・そうじゃないんだ・・・神戸がね・・今大変でさ・・・・」

「なあ おやじさ。 いまさら神戸が大変って 可笑し過ぎるでしょうーよ」

「・・・・・・・・・・・・」

しばらく無言が続いてまた、

「ブルーシートはね・・みんながね・・家のさ・・屋根がさ・・」

<わけがわからない・・イラッ怒>

「おやじ!もういいよ。 俺すぐ帰るからさー」

<電話を切り急いで帰えり、おやじの話を聞くも、当時の俺には、親父の考えが理解出来なかったのを思い出す>

震災直後の神戸でのブルーシートの需要は凄まじく、崩れ落ちた屋根にもひび割れた道路にも、何よりあの寒空を公園などの野外で過ごす人々が必要とした物だった。そんな中、ブルーシート1枚が5000円でも買えず、1万円も出す様だったという。

親父はそんな状況の神戸の業者に売ることで、必要とする人々の手に渡ることは良しとしながらも、まるで火事場泥棒の様な商売の道具になってしまう事を絶対にしたくないという葛藤の最中だったのだ。

「じゃあさ、おやじ。1200円とか言わずに、800円(相場)で売ればいいじゃん」

「ちがうんだよソン・・例えうちが1200円で出そうが800円で出そうがさ・・もっと言うと80円で出したとしてもさ、業者は神戸の相場で売るのよ」

「んじゃ もっと 例えば4500円とかで売っちゃえばいいじゃん! 今ならそれでもその業者も買うんじゃないの?   えーと・・・・・6500万円じゃん!!」

「ソン。 よく聞いておくれ」

「なんだよ面倒くせえなあ・・もう船のチャーターもしちゃったんだよおぅ・・・・」

「なぁソン。父さんは本当に幸せなんだ。ママがいてソンがいて、会社が在って社員がいて、社員の家族がいて。今は本当に幸せなんだ。

父さん達(母あさんも)はさ、ソンくらいの歳の時には、明日をどうやって生きていくのか、ばっかり考えてさ、毎日、命からがら過ごしていたんだよ。

父さん達はラッキーだった。船に乗れたからね。日本に来たからね。解るかい?

何度か話したよね。船がたどり着いたマレーシアの難民キャンプで、日本は厳しいからやめるんだ。

って、みんながアメリカやカナダを亡命先に希望したんだ。でも、とうさんは、キャンプで事務的に横柄な白人と違って、一生懸命にお世話をしてくれていた一人の日本人をみて、厳しくてもいい。私は日本に行きたい。って・・・・ 

日本に着いていなかったら死んでいたんだよ。ソンはこの世にいなかったんだよ。

父さん達はね、

この命に代えてでも日本に恩返しをしなければならないんだ」

「・・解んねぇよ・・そんなこと言うなよ・・」

 俺の後ろの、窓の外の遠くの方を視ながらおやじは続けた。

「なあソン、神戸に行ってくれないか」

「なんだよ急に・・」

「荷をさ、ソンが神戸に届けてくれないか」

「・・・いいよ別に。俺が行くよ。・・・ んでどうするの?」

「うん・・荷をさ、本当に必要な人に渡るようにして欲しいんだ。お金は要らない。寄付団体に渡して、それが本当に、皆に渡るようならそれでもいい。途中で寒さに震えている人が居たら配ってもいい。とにかくあのブルーシートが本当に困っている人が必要としてくれるならそれでいいんだ」

「・・わかったよ」

そう返事するしかなかった。

一週間後、俺はまだまだ理解はできていなかったが、神戸の港で荷を降ろした。

契約済みの倉庫へ荷が運ばれ終えると同時に、中村さんにオファーした業者へ頭を下げに行った。

ブルーシートが余程欲しかったのだろうか、関西弁がそう感じさせたのかは分からないが、俺には厳しい時間だった。

暗くなっていたが、炊き出し車となっていた配達車の1台にブルーシートを詰め込み、母親たちが待つ避難所のテントへ合流した。

次の日からは早速、被災された人々が渾渾と押し寄せる役場や、商工会議所に青年会議所などなどを回って、社長(親父)の意図を伝えては荷を降ろした。

3週間ほど母親を含む炊き出しに出向いた皆がハマへ帰った後も、俺はひとりでブルーシートを抱えていた。

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